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「神よ、あなたに向かって新しい歌をうたい/十弦の琴をもってほめ歌をうたいます。」(詩篇144:9)

星を見つつ歌いつつ!(詩編103:1) [Short Story]

 「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(詩篇103:1)


 

filio.JPG C・S・ルイスが著書の中でこう言っています・・・「悪魔は、神の力を知っている。神が『今日』を生きる人を支えることを知っている。だから悪魔は、人を『今日』から『過去』へいざなう。あのいまわしいあの時の気持ちや、忘れていあの悲しみの只中に引き込もうとする。そしてそのことで、その人の『あす(未来)を』絶望させる。」・・・
 つまりサタンの手口は巧妙で明らかだ。悪魔は、「今日」がダメなら、私たち人を、「過去」へ引きづり込もう誘惑する。そこなら神も手出しはしないだろうとタカをくくっているわけ 

 小さい時の思い出を思い出しました・・・たぶん小学3年生だったと思います。・・・「信。いいかぁ~。父ちゃん手を離すぞ!がんばれよ。大丈夫、お前は絶対乗れるからな~!」後ろで父が叫んでます。 貸し自転車屋さんから借りた大人の自転車に、もうちょっとで乗れるというので、珍しく、会社の引けた父が乗り方のコツを教えてくれました。出発する前、父はずっと後ろで支えてくれてました。手を放す寸前、父はそう言いました。両手に力がはいります。ゴー!わお~乗れてる!一人でこいでる!なんという自由な気分

 みなさんもきっと自転車乗れるようなった頃、同じような快感を経験したことだと思いますはじめて乗れた爽快感・・・が、すぐ前方に、ちょうど嫌なサイズのころを発見します。心が言います。あっちへ行っちゃあダメだダメだ。危ない。そう思えば思うほど、不思議なことにハンドルがそっちにきられるのですまるで磁石のように吸い寄せられたよう。そして最後・・・ガッシャーン!自転車乗りの鉄則は決して手前の石ころなど見ないことなんだそうです。


 さて、聖書の中でイエス様は今日を生きるようにと、教えています「あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」(マタイ6:34b)  私たちも小さい頃、自転車に乗れるようになった頃と同じような過ちをくり返します。今日を生きれば良いのに、目の前の嫌な石ころを見ているのです。つまり明日の労苦です。今日の労苦だけ見ていなさいってイエスさまはおっしゃいます。ましてや過去などです!

 ここで気をつけていたいことがあります。イエスさまはここで、私たちから「労苦」が消えるとは言っておらないのです。

むしろ労苦は確実にあるのです。その日日の労苦が。でもその労苦から逃げないで、主にゆだねて歩む。そして明日も明後日もそのように歩む・・・そうやって日々を重ねふと目を上げると、そこは何と天の入り口のゲートです。今日一日一日を、主と共に生きるということこそ究極的喜びに至る歩みだってことなんですね。


 藤四郎の自転車乗ではありませんが、自分の足もとの石ころばかり見てちゃあダメですもしも足もとにゴロゴロ転がっている「労苦」という石ころばかりに目が行ってしまいそうになったらその時は、ぱっと空の星を見上げてみましょう!あれって、これまでの人生で、日々主と共に歩んできた恵みの数のあかしなんです。だから旧約聖書の詩人はこう歌っています・・・「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」愛する皆さん目先の労苦という石ころでなく、夜空の恵みを数えつつ、今日だけの労苦を主と共に歩みましょうさあ、今日も歌いつつ歩まんです!信一


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